Dragonfly40のBlog

主に障害者が就労移行支援に通う実情を綴っています。

自衛官になった経緯

私は自衛官として赴任された先は滑走路があって戦闘機の飛ぶ一般的な「航空基地」ではなく、田舎にある分屯基地でした。

元々就職するまでは都会(と書くと東京の人にはバカにされそうだけど)暮らしだった為、都会がバスで1時間くらいで行けるこの場所はいくらかマシでした。

と言うか、私の実家に近い場所ということで着任した場所だったのですが。

私の親は私が13歳の時に離婚し、私は母方に付いたのですが、私が中学3年生の時に「関節リウマチ」を発病し、働けなくなってしまい、生活保護を受けることになりました。

しかし当時反抗期だったこともあり公立高校ではなく私立高校へ進学してしまいました。

当然学費が足りないので「私学助成金」を受けていました。

私の受けた私学助成金制度は北海道で行なっている制度で、高校卒業後3年間北海道で就職すると、「北海道に貢献した」として、3年間受けた助成金が全て免除になる、という制度でした。

なのでどうしても北海道で就職しなければならないという縛りがあったのです。

当時は東京への出稼ぎ就職が多かったので、就職の選択が狭まってしまったというのがありました。

高校3年になった頃、自衛官といえばあの伝説の「カツ丼食わねぇか?」で勧誘してくるという「地方連絡部(通称地連)」の方にスカウトされました、カツ丼は奢ってくれませんでしたけど。

で、まぁ色々話を聞きまして、私はパソコンが得意だったので、当時自衛隊にも導入され始めだったご時世もあって、「じゃあ航空自衛隊が合ってるんじゃないかい?」と言う話になり、試験を受けたら受かってしまった。

という生い立ちだったのです。

まぁこれも今となっては間違った選択だったこととなるのですがね。